―その1:演劇公演における「チラシ」とは?― に戻る
―その2:少女単体と折り込み代行業者「Next」とのやりとり―
さて、今回の公演「恋人が障害者」のチラシ約2万部を、「Next」へ委託するために、配送しました。
9/27に、印刷会社から、「Next」へ直送したチラシが到着したはずです。
すると、その翌日だったと思いますが、「Next」代表の郡山氏から、私のところへ電話がかかってきました。
確か、お昼に近い、午前中だったと思います。
仕事中に突然電話がかかってきたもので、その内容は、録音することができませんでした。
そのため、以下に話した内容を記しますが、明瞭な言葉ではないことをご了承下さい。ですが、書く内容は、真実です。
まず、電話で郡山氏から伝えられた内容は以下の通り。
「今回の少女単体のチラシは、Nextで折り込みを代行することはできません。理由は、表現が公序良俗に反するからです。人が不快と感じる表現だからです。」
公序良俗?なんだ、その言い方は・・・、というのが、第一印象。
郡山氏とは、初めて直接お話をしたのですが、こちらの方がまさに「不快」に感じる、ものの伝えようでした。
ですが、このチラシが「過激ではない」とは、私も言いません。
そもそも、最初から、今回のチラシはスキャンダルな内容にしようと決めて取り掛かっているので、それによって、どうゆう反響が起こるかは、ある程度予測していました。
実際、デザインを印刷会社に入稿しに行った際、印刷会社からも、ひとこと注意されました。
具体的には、『障害者が出演者になろうなんて100年早い』というキャッチコピーが、差別的表現だと思われるから、とのこと。
毎回印刷をお願いしている会社だったので、なんとか受け入れてもらえたのですが、次回からは気をつけるようにと言われました。
(このキャッチコピーがなぜ差別なのか、ということに関して、言いたいことがありますが、話が反れるので、後述します。)
ともかく、今回のチラシ、入稿の段階からして、もはやNGを喰らいそうになっているのです。
そういったことから見て、Nextのリアクションも、まあ、予測の範疇にはありました。
それならそれでいいではないか、と思われるかもしれませんが、その後の郡山氏の発言と、Nextの対応において、許せない部分を感じたので、今回、この場で、その全貌を公開させて頂くことにしました。
公開において、Nextには、事前に、「Next」の企業名を出す事と、そのやりとり、及び、私の思ったことを述べさせていただくことを伝えてあり、了承を頂いています。
まず、郡山氏から、少女単体「恋人が障害者」のチラシを「公序良俗に反する不快な表現」と言われたことについて、私は反論しました。
創作した本人であり、表現者である私が、当然とってしかるべき行動です。
最初に電話で話した、私と郡山氏のやりとりを簡単に書きます。
私: 「どこがどう公序良俗に反するのか」
郡山氏:「裸の男女が性行為をしているように見えるところです」
私:「性行為?陰部も何も出ていないじゃないですか。裸で抱き合って笑ってる写真が、性行為なんですか?」
郡山氏:「個人的にはよくできてるチラシだと思いますが、昨日、会議で20人の社員と話あった結果、人々が不快に感じる恐れがあるのという結論が出たので、そうゆうチラシをNextとしては、折り込むことはできません」
私:「今までも、チラシにおいて、裸の写真は使っていますし、過激な言葉も使用しています。そうゆうチラシをNextに委託してきました。なぜ以前のものは、何の問題もなくて、今回のものはダメなのですか?」
郡山氏:「前回までのものは、女性だけの裸で、性描写を感じさせないからです。今回は、性描写を感じさせるというところに問題があります」
私:「このチラシは、一般のお店や、電車の中吊りに吊るような目的で創られたものではないんです。演劇という、いわゆるアングラな文化の中で、それを観に来た客、つまりは、狭い客層に向けられた、プロモーションです。何も、学校や、街中で配るわけではないんです。ちゃんとしたTPOに合わせて創っているつもりです」
郡山氏:「チラシは不特定多数の人間の手に確実に渡ります。これを見たくないという人の手にも渡ってしまうので、その人が不快と感じる恐れがある以上、そうゆうチラシをNextで扱うわけにはいきません」
私:「こちらは、一生懸命これを制作しています。チラシも表現であり、作品であるという考えの元に、創っています。このチラシは、悪意を持って制作されたものではありません。表現には自由というものがあり、一業者が、その表現の自由を阻害する権利はないと思います。このチラシにどのような印象を抱くかは、受け取り手によってそれぞれ異なることであり、受け取り手の自由です。チラシの印象を、20人の社員の間で決定付けられることではないはず。そんなことに屈していては、表現というもの、そのものが衰退してしまう。私は、表現者として、易々と、それに屈する事はできない。Nextが折り込みを拒否することについて、納得することはできません」
郡山氏:「あ、そこまで考えてるんですか。でも、20人いる社員の間でですら、不快に感じるという結果がでているんです。そうゆうチラシは扱えません。わかってもらえませんか!(なぜか、逆ギレ)」
私:「人を納得させたいのなら、それだけの理由が必要。なぜ不快に感じるのか、その理由を文章にして、明確に提出して下さい。20人いるなら、その社員一人一人の意見を書いて、よこして下さい。こっちには、ものを創るプライドがある」
郡山氏:「あ、そうですか」
この、「あ、そうですか」、という言葉に、私は非常に憤りを感じました。
郡山氏のおっしゃることについて、企業として、何か問題が起きそうなことは避けたいという気持ちは、私も社会人として理解できますし、それは当然のことでしょう。
それについての気持ちは解るので、お互いに、そういった話し合いを進めた上で、双方が納得できる結果に落ち着いたのなら、私はこのように、ネット上でやりとりを公開することもなかったと思います。
Nextで折り込みができないのなら、大変だけど、自分で各劇場へ回って折り込みをするなり、別の手段があるわけですから。
ですが、この郡山氏の発言に、私は、許せないものを感じました。
それで、このやりとりを公開しようという考えに至ったわけです。
まず、表現者を相手にする仕事において、その表現者が物を創ることへの熱意を語ったのに対し、「あ、そうですか」と言えてしまう、この人の人格に、不信感を覚えました。
その言い方は、こちらを嘲笑するような言い方でした。少なくとも、神妙なものの言い方とは、とても言えませんでした。
こうゆう一言に、人間性は現れるものです。
クリエイターを尊重している人であれば、まず、そんな軽口は出てこないはずです。
また、郡山氏は、電話での話の冒頭で、「自分は演劇の業界に10年以上います」やら、「昔劇団をやっていたので、表現することが大変だという事はわかるのですが」ということを、私に告げ、私を納得させようとしました。
(ちなみに、「10年以上演劇のチラシを見ているが、折り込み拒否をするに至ったチラシは、少女単体が初めて」とのことです。)
一ビジネスとして、折り込みの代行というものを始めた、というような業者であれば、表現するということがどんなことか、解ってくれといっても解らないのが無理もない話ですが、郡山氏の場合は、自分はさも表現者であるかのような口ぶり、または、それに理解があるような口ぶりで、自分の言い分を通そうとし、しかし、実は、少しもクリエイターに対して敬意を持っていない人だということが、後でバレてしまっているわけです。
話の中盤に出てきた、「あ、そこまで考えてるんですか(創ってるんですか)」という言葉にも、不愉快な気分になりましたが、最後の「あ、そうですか」で、全ては決まりました。
郡山氏という人は、クリエイターを相手にした商売で、クリエイターからお金をもらって生活しているのにも関わらず、そのクリエイターを尊重することができない人だということが。
しかも、現在、Nextのホームページにも告知が出ているように、どうやら、来月、「吉祥寺ちらし会議」なる、イベントで、郡山氏は、パネラーとして参加するそうです。
私としては、この人に、チラシのことについて、何も語って欲しくはないです。
ホームページによると、「折り込みちらし問題」を討論とのことですが、この人に、何を語れることがあるのでしょうか。
私は、郡山氏が、実際に行った、チラシを作っているクリエイターに対する態度に、憤りと不信感を感じました。
もの創りに、体を張って真剣に取り組んでいる者を舐めるような態度を、私は表現者としても、また、Nextの一顧客としても、許すことはできません。
もしかしたら、郡山氏本人は、そんなことは言っていない、苅谷の言っていることは嘘だ、と否定するかもしれません。
実際、急にかかってきた電話を録音できるような環境にはなかったので、証拠を出せと言われても、ありません。
ですが、私は確かにこの耳で聞きました。
そして、郡山氏の態度に、怒りと不信感を覚えたことは、事実です。
もし、郡山氏が、私の発言を否定するとしたら、卑怯であると思います。
証拠は、私が一ヶ月間以上、悩んだ末、この文章の公開に至った事、(ブログを読んでいただければ、直接的には書いていませんが、なんとなくわかってもらえると思います。)
Nextという会社について問題提議することによって、今後の少女単体の活動に支障が出るのではないかということ、そういった様々な問題点を考えた上で、それでも、私の考えをこうして表明したいという思いの方が勝り、それだけの感情を抱いたということ。
そして、その感情からくる、この言動、それで信じて頂ければ、幸いです。
Nextは何十人がかりかもしれませんが、私は、一人です。自分の責任は、すべて私ひとりで取ります。
さて、その後、電話のやりとりの後、どうなったのか、続きを書きます。
長いので、今回の件は、数ページに分けさせて頂きます。続きはこちら。GO!