ボディーブローな過去
2006年2月
2/21
―「ダメ、ゼッタイ」が過ぎて その4―
どんなに調子が悪くても、絶対に精神科の門は叩かないと決めている。
夜、夢に足が入りかかったくらいの時、ひらめきが降りてくる。
先日、オレの脳から生まれたとは思えないほどのひらめきに出会ったのだが、気付いた時には朝になり、すっかり忘れてしまっていた。
なんで、あの時、起きてメモらなかったのか・・・
夢と現実の間にいて、コントロールが効かなかった。
何度思い出そうとしても無理。
近いところまではいくのだけど、核が見当たらない。
くそ!
その時、光が見えたんだよ。
ほんとに。
眩しかった。
どこにいっちゃったんだ、アレは・・・
いや、決して変なものなどやってません。
オイラ、昔から、底に沈んでいるときは、酒や毒や人に依存しないのだ。
こうゆう時こそ、追い込めるチャンスなのでな。
2/14
「ダメ、ゼッタイ」が過ぎて その3 〜平井堅リスペクト〜
平井堅を聴いている。
ちゃんと聴いた事がなかったのだが、これが平井堅かー、って印象。
色んなジャンルを歌ってるんだね、ソロの歌手って大変だなぁ。
もっと、ゴリゴリのR&Bな人かと思ってたら、なんか、歌謡曲も多いんだね。
しかも、本人作曲か。
うーん、平井先生本人が好きなのは、そっち系の歌なんだろな。
中にはエロい歌もあるんだけど、ムリヤリやらされてる感が否めない。先生本人にエロさがないので、ちっともセクシーじゃないのよね。
先生は、さわやかな方が先生らしいよ。
などと、勝手なことを言っているが・・・
実際、このアルバムが売れている理由が、オレにはサッパリわからない。
こんなんがいいのね・・・うーん・・・わからんなぁ・・・
ただ、オレなりに感じた平井先生の魅力といえば、先生はきっと貧乏な家庭で育っているに違いない。そこが、いいと思う。
今の生活をキープしたいと切望しているはずだ。
それが第一であって、それさえあれば、自分の自由などは大したことではないのであろう。
そこが先生の強みだと思う。
あれだけ歌がうまけりゃね。
実は、日本には、あんまりそうゆう歌手、いないんじゃないか?
やはり、平井堅は偉大だ。
そうそう、忘れてはいけないことがある。
去る2004年、夏。「Stage NO.2 少女単体」の楽日で、オレは平井堅の「瞳をとじて」をいきなり合唱しようと試みたことがあった。
当たり前のことながら、成し得ることはできなかった。
客は「いみわかんない」の表情を隠し切れず、オレはオレで、曲をあまり把握していなかった。
それが、約1年半の時を経て、この「ロミオとジュリエット」のラストで、見事実現したのだ!
夜中、住宅街にて、「瞳をとじて」を大合唱。
恥ずかしかった。
その後、ポリ公が通過していったのには、少し怯んだが、みんな無事だったようで、何よりだ。
普通、あんな怪しい集団、尋問のひとつやふたつ、食らうだろう。
ポリ公にさえシカトを食らう、オレたち。
こうゆう時は、逆に捕まらない方が神なのだ。
平井オチは、決めていたわけではない。
ただ、その時のオレを救ってくれるのは、平井堅しかいなかった。
だから歌ったのだ。
1年半越しの夢は、実った。
そうゆう意味では、成功かもしれない。
(詳しくは、「少女単体DVD」を見るように!)
(ちなみに、オレが警察に捕まっている模様は、「膣DVD」で見れるぞ!)
2/10
―「ダメ、ゼッタイ」が過ぎて その2―
風邪がずるずると長引いている。
今回は、熱もなく、中途半端にダルい風邪なので、イライラする。
今は、むしろ、ガッツリとダウンしたい気分なのだ。
ダウンした時の、あの割り切り感とスリルが好きだ。
今、ここに、風邪薬と、○○○と○○○をカクテルして、トドメに○○○をキメれば、確実に死ぬな、という気分がたまらない。
さて、今日は、「客」について考える。
毎回思うのは、客というものは、観たものを「解かりたい」という欲求があるらしい。
それは、相手のことを知りたい、という、人間関係にも似たような気持ちかもしれないが。
んでも、当のオイラとしては、客に「理解」や「共感」を何も求めてはいない。
そもそも、「解かり合えない」という時点からスタートさせているし、にも関わらず、「共感します」とか言われると(そんなのは稀だけど)、ゾッとする。
オイラは、キミらに合わせる気はさらさらないので、キミらも、どうぞ自由にテメーの気分でやってくれ。
ただ、オレは、客からのアンケートだけは、毎回楽しみにしているのだけど、(今回、回収できなくて、本当に残念・・・)
それを読んでみて、あまりにも脳みそ使ってない客の感想を聞くと、うんざりした気分になることがあるのは、事実。
なんでこんな奴のためにやらねばならんのか・・・と、やる気を失うことも、事実。
こうゆう発言をすると、また動員数に影響するのだろうけど、これもまた、言わずにはいられない。
客は、好き勝手に何でも言っていい立場ではあるが、それにしても、「感想」というのは、自分のセンスを問われる問題なので、もっと慎重になって、頭をひねった上で発言すべきと思うのだが、どうだろうか。
それでも「ボクはお客さんだも〜ん、バカでいいも〜ん」と開き直るのなら、それはそれで自由だが。
ただ、今、インターネットなど、匿名で発言できる場所において、自分の実態を隠し発言できるというのが主流になっているらしいのだが、これについて、オレは信憑性を微塵も感じていない。
自分の発言に自信が持てない奴の意見など、説得力ゼロであるし、また、そういった連中の意見を参考にする奴も、同レベルである。
オレは、馬の骨の寝言を相手にしているほど暇ではない。
あと、憶測でものを言ってる奴がいることを、オレは実生活から、よく知っているが、これはもう、問題外。
宣伝ありがとうございます、しか、言う事はない。
独自の感想お持ちの方、頼むので、直接、オレ宛てのメールや、アンケートフォームなどから、教えて下さい。
最近、退屈しておるのでね、たまには、面白いものを、ひとつお願いしたい。
まあ、アレだよ。
最近の「どーでもいい」って風潮、あんなのは、実は「どーでもいい」ではいられないから言うのであろうよ。
あれがクールな態度のつもりなのだろうか。
実は、とても見苦しいことなのだが、みんな、それを承知の上なのだろうか。
「どうでもよくなんかなりたくない」方が、カッコイイに決まっている。
そして、素直に、「ボクチンは、誰かに相手にしてもらいたいの!」っていう方が、クールだ。
だが、それも、自分の発言が無責任に言える世の中になってしまったがゆえ、逆に自信を喪失してしまい、言えないのであろう。
今後、どうなっていくのかね。
昔、三島由紀夫という、たいそう理想の高いキチガイがいてね、そいつったら、たかが、「お前が嫌い」ということを言いたいがために、わざわざ着物を着て太宰さんちに出向いたのよ。
そうゆう人、今ではどう見られるのだろうか・・・。気になるところだ。
オイラも、人にガツンと言いたい時は、テメーの口で、本人に直接言うけどな。
影でコソコソするくらいなら、外交と啖呵を切って、戦争した方がいい。
その方が面白い。
そういうのを文化というのだ。
今回の、「ロミジュリ」にしても、そんなようなものなのだ。
核心にふれる部分についてだけは、オレの立場から説明することは控えるが、簡単に言うと、
降板役者に対して、オレは直接、「お前もオレも間違っている」ということを、示したつもりでいる。
オレのやったことは、犯罪であり、世間に認められない行為ではあるが、彼のやったこともまた、「役者」(自称)として風上にもおけない行為であり、契約違反をして周りに迷惑をかけたにも関わらず、その責任を何も取らないという、人としての誠意を欠いた行為であることに、間違いはない。
そこで、戦争。
宣告はしてあった。テロではない。
こちらの言い分としては、「オトシマエをつけろ」と。
オレは「辞めるな」と言っているわけではない。
自分でやったことに「責任」を取れと言っているだけなのだ。
今回は、それが何も成されていなかった。
ハッキリ言うが、覚悟のないチキン野郎は、今すぐに役者を辞めて頂きたい。
そして、影でオレの悪口を吹聴するくらいなら、面を出してケンカしてみろ、と言いたい。
そんなこともできない奴に、非難される覚えは、ない。
しかし、今回の場合、そのハズレくじをひいてしまったのは、紛れもなくオレ自身であり、オレの不徳の致すところであるので、オレは、自分自身と、自分の背負った「お荷物」の責任を諸共取るという手段に出たというわけだ。
正し、「責任」というもので「公演」をするものではない。
そこは、絶対に誤解しないで頂きたい。
以前の発言と被るが、オレは、それを「利用」して、創作をしたということである。
彼をできるだけフィーチャーし、自分で自分を追い詰めるように、仕組んだ。
それが、結果的に、テメーの半端な罪悪感によって崩壊するという末路に行き着いたわけだが、しかし、それは後付けのものである。
それに、例え、偏屈だとしても、そこに愛情がなければ、わざわざお荷物を公開してやることもないのだ。
「愛なら、ここにある」のコピーに、偽りはない。
いつの間にか、「客」の話からズレてしまったな。
それに、毎回、同じことを言っている。
いかん、まだ気が治まっていない証拠だ。
今日言いたかったのは、どうゆう立場にしろ、もう少し、自分の言葉というものに、責任を持つべきではないのか?ということ。
そう感じることが、最近多々ある。
2/7
―「ダメ、ゼッタイ」が過ぎて―
雪が積もっている。
死の予感。
でも死は絶対なので、予感じゃないのね。予感と言ってしまう矛盾が、生きることなのね。
静かだな。
オレは風邪をひいた。
めずらしく、鼻かぜ。
いつもはのど+熱なのだけど。
今回は、鼻水がとまらんだけの軽症で済んでいる。
仕事ができるだけの体力は残しておいてくれたのか、風邪の神様。どうも。
ところで、このホームページを設立して、丸2年になった。
少女単体の歴史も同じ年月だね。
思ってみれば、たった2年間しかやってないんだな、こんなもん。
そう考えてみると、ここ連日のオレの自惚れっぷりはアッパレだ。
いいぞ、いいぞ。
もっと自分を見失って欲しい。
実際、「少女単体」は、その名前が一人歩きしているだけで、実際みたことのある人間は少ないのだ。
知ったかぶりをかまして、憶測で勝手なことをほざいている輩が多いことを、オレはよく知っている。
仕事柄、色んな会社に顔を出すのだが、その都度、「なんか、聞いた事ある」とか、「噂は聞いてます」と言われる。
就職面接に行ったときに、面接官がオレを知っていたというケースもあり、すごく気まずい思いをしたこともあった。
確かに、それは嬉しいことではあるが、元々、小心者なオレは、恐くなったりもするのだ。
なんか、話が飛び火しているなぁ、と。
いったい、オレの何が話のネタになるというのか。
自分は、やりたいことをやっているだけなので、よくわからん。
まあ、でも、少女単体の場合、万人受けは絶対に在り得ないので、このまま、大きくもならず、今くらいのポジションを平均値として、このままダラっといくであろう。
それくらいが自分にはちょうどいいし、みに来る人にもちょうどいいであろう。
取り越し苦労は無用である。
さて、自分で「失敗」宣言をしてしまったオレは、再起をかけて、悶々とした日々を送っているが、
いつか、「ロミジュリ」が希少価値のあるものになってくれればよいと思っている。
そうなるように、今、頑張る。
このところ、問い合わせで、「ロミジュリ」は映像になりますか?という質問を頂くが、今のところ、その予定はありません。
素材として面白いので、映像にまとめれば、すごく面白いものになることは明らかなのだが、
これを映像としてまとめるとするならば、舞台当日の映像を核にするのではなく、それまでの過程を全部組み込んだ上で、人間性を追求するという演出をした方が面白いので、そうなると、舞台上で公開しなかった、日常の細部まで正確に描かねばならんのだ。
すると、これはもう、上演記録ではなく、ドキュメンタリー映画の勢いになってしまい、「ロミジュリ」のライブとは、全然趣旨の違うものになってしまうのだ・・・。
だけど、映画にするには、少し足りないし、といったところで。
そういった理由から、世に出すつもりは、ない。
それよりも、「ロミジュリ」が、「レア」もののライブになってくれることのほうが嬉しい。
来てくれたお客さんにとって、その方がいいと思うのだ。
簡単に映像で見れるようになっては、ライブの意味もない。
客は、何のために、わざわざ足を運んでおるのか、という話だ。
それに、たぶん、これが、少女単体のひとつのターニングポイントになるであろうから、なおさら、形に残さずにおこうと思う。
形がないということがライブの魅力なのでな。
これからも、ライブでしかできないことをやっていこうと思っている。
その意思の現われだと思ってくれ。
次の公演を目指していきたいと思う。
もう一度、自分を追い詰めて、ジリジリいわすところから始めるつもりだ。
とりあえず、映像の方は、「フェ○チオ北海道(仮)」を期待しててくれ。
こちらは、少女単体とは全然別モノだけど。
オレの意思で告知ができないので、詳細はまだ言えないけど、その時期が来たらちゃんと発表するからね。
少女単体は、引き続き、低迷期脱出をかけ、悶絶中である。
2/5
『ロミオとジュリエット問題―その3 「ダメ、ゼッタイ」』
自問自答の日が続く。
しかし、なぜか、意外にも、今回の「ロミジュリ」、プロからのウケがいい。
失敗しているドキュメンタリー作品ほど面白いものだが、そうゆうことなのだろうか・・・
某監督に、「1年以上かけたのに、ピンポンダッシュしかできませんでした、オレは小物です。」と相談すると、「そこがいい」との評価。
いやぁ、観れる人は違うな・・・。またも反省。
別に、自分を擁護しているわけではない。
誰がなんと言おうが、オレにとっては「失敗」に変わりはないのだ。
ただ、こうゆう意見も同時にあるということは、知っておかねばならん。
感想を聞いておいてよかった。
確かに、リアリティを追い求める演劇って最近流行ってるけど、どれも別にリアルじゃないからな。
現実は、現実でしかないからね。
結局、「1年かけてピンポンダッシュ」。
それが現実なわけ。
思い知るわけ。
実際、この日のために、色々用意してきた。
それなのに、オレが当日、握り締めていたのは、ガムテープひとつだった。
それさえも、使えなかった。
無理だった。
できんかったのだ。
幕は、2004年12月の段階で、既に開いていた。
その幕が、よりによって、この本番が始まると同時に、下りてしまった。
オレに「良心」が芽生えた瞬間に、である。
「ダメ、ゼッタイ」。
それだけのものに。
オレの1年は、簡単に終わった。
そして、その後は、もう、テンションが戻らなくなってしまった。
つまり、それを、「失敗」と指しているのである。誤解のないように。
公演のことなど、もうどうでもよくなってしまったのだ。
ホールへ戻る途中のタクシーの中、オレは喪失感でいっぱいだった。
隣でカメラが回っている。
泣き出したかった。
しかも、オレが一番ショックを受けた瞬間のライブ映像は、なんということか、会場に運ばれていなかった。
「なぜ、オレが、中継現場から、ホールに帰る事になったのか」その理由になる映像である。
それが運ばれていれば、もっと違ったかも知れない。
今言っても、もう遅いが・・・。
いや、そんなことよりも、その時のオレは、もう、抜け殻だった。
もう、やめたかった。
嘘をつくのも、物語りも、現実も、何もかもやめたかった。
「失敗です」
それ以外、何も言えなかった。
泣きたかった。泣けばよかった。
コレがオレか・・・?
と、自分を疑った。
無力だった。
オレは、自分で「少女単体」を潰した。
この辺の心境、これは映像にまとめないとわからないと思う・・・。
つまり、そこが失敗なのだ・・・。
だけど、オレの気持ちなんかはよそに、客は勝手に楽しんだり、楽しまなかったりなので、オレがわざわざ、こんなことを言うものでないことはわかっている。
オレがこうゆう発言をすることで、客の想像力を奪っているのかもしれない。
でも、言わざるを得ない。
とにかく、今回は、嫌でも自分自身を思い知らされた公演であった。
自分の些細な気持ちひとつで、一瞬にして、少女単体は崩壊するのだと。
あと、少女単体は「仕込みをしない」というのが最大の魅力(と、自分で言う)なので、今回は、事前に色々やりすぎた、ということも「失敗」の原因であると思う。
「らしくなかった」ものを、本能的に「らしくしよう」とする力が働いたのかもしれん。
たいだい、少女単体は、過激なことはやらないし、過激なもんや、驚きで喜ぶ客は、程度が低い。そんな客はいらん。ガキは帰れ。
のはずなのに、オレは、今回、強引なことを、少女単体らしくないことを、ムリヤリやろうとしてしまったのだ。
子供だましもいいところだ。
そして、自分さえも裏切っている。
オレはアホだ。
いつも通り、自分の肉体ひとつだけで空間を動かすというスタイルを貫けばよかったのだ。
何も言わず、無言でホールに突っ立っているほうが、まだよかったかもしれん。
「少女単体」や「膣」の何がいいかって言うと、オレの身体以外、何もない、というところなのだ。
1年ぶりの公演で、カンが鈍っていた。
それに、今回は、「自分一人」というのとは、また違う。自分以外の荷物があった。
それが一番大きい。
いずれにしても、バラバラになりすぎた。
料理が下手すぎた。
「これはこれ」でいいのかもしれないが、オレにとって、「失敗」であることに違いはない。
それを踏まえた上で、オレはわかった。
オレはもう、「少女単体」や「膣」ができるオレではないのだ。
それなのに、過信していた。
知らない間に、オレは「少女単体」と馴れ合ってしまった。
そして、「少女単体」に甘えた。
自分が築いた、ちいさな家の中で、余裕をかましていた。
とんだ大バカヤロウだ。
>
伝説は蘇らない。
そこへ返ってはいかんのだ。
捨てなければいかん。
もう、「少女単体」がどうのとか、「苅谷文」がどうのとか、そんなレベルの問題ではない。
もう、いいのだ、そんなもんは。
今のこの挫折から、どうにか再起しないことには、オレはもう成す術がないのだ。
振り切れ、オレ。
家は捨てろ。
その時期がきた。
家といえば、
今の日本の子供に、大切なものは?とアンケートを取ったところ、「家族」という回答が一番だったそう。
それは正気なのか?
気持ち悪くてしょうがない。
アメリカの真似もいい加減にしろと言いたい。
家に家族の写真やら貼っている連中をみると、吐き気がする。
自分ちに、自分らの写真はってどうする。バカか。ダサすぎる。
いつから、お前らはキリスト教徒になったんだ。
クリスマスの真似事くらいで済ませておけばいいものを、魂まで売ってるとはな。
日本には、これという宗教がないんだよ!
だから、こんななんだよ、バカヤロウ。
だいたい、家は捨ててナンボ、親は越えようとする対象であるべきなのだ。
その方がずっと愛があるではないか。
誰も、「お父さんお母さん大好き」なんて、本気で思ってねぇだろう。呪縛だ、んなもんは。
「生んでくれと頼んだ覚えはねぇよ」が、本当だろ。
オイラは、生粋のパンクスから言わせれば「育ちの良い哀れなパンクスかぶれ」ではあるが、それでも。
パンクスでいられないくらいなら、死んだ方がマシなのだ。
落ち着くな。
少女単体を捨てろ、オレ。
2/4
『ロミオとジュリエット問題を考える ―その2』
ここ連日、オレ叩きをしているオレだが、当然、オレが思う少女単体と、みなさんが思う少女単体は、それぞれ異なっている訳で、
本人の言っていることが正しいわけではないので、みんながどんな風に少女単体を観ようが、それは自由。
オレが「失敗」と宣言しようが、キミらが面白いと思うのなら、それでいい。
また、その逆も、同じ。それでいい。
あれをフィクションと捕らえるのも、ノンフィクションと捕らえるのも、ラブストーリーと捕らえるのも、公開犯罪と捕らえるのも、なんでもオッケーだ。
勝手にしてくれ。
ただし、アンケート・感想は、オレによこしなさい。
「賛否両論ありますが、私は〜・・・」系のメールを頂きますが、その賛否両論ってのは、どこで行われてるんだ。
今回、アンケート書く時間を与えなかったオイラが悪いんだけど、感想とかは、遠慮なくオレに直接言って下さいね。
知らないところでコソコソやるのが現代の風潮らしいけど、オレ、そうゆうの嫌いだからね。
アンケートフォームを作ったよ。ここからご感想を送信してね。
さて、今日も、オレはオレを考える。
本当のことを話すと、限界が見えてきているのだ。
オレは元々、いわゆる、普通(?)のエンゲキをやっていた人間なのだが、それに限界を感じて、少女単体を始めた。
今、その少女単体に壁が見え始めてる。
それに対して、すぐに、「こう」という答えは出せない。
今が一番の悩みどころだと、そう思っている。
元々、少女単体なんかは、一発で終わらすつもりでやったのだ。
「Stage No.2 少女単体」なんかが、そう。
最初で最後のつもりでやった。
それが、こうして4回も続けさせて頂いたわけだから、その現状の方がおかしいといえば、おかしいのだ。
そもそも、続くわけがない。
続けられない事をしているわけだから。
あと、もうひとつは、客がオレに慣れ始めてきている。
これが、すごく気持ち悪い。
知っていると思うが、オレは、少女単体のファンが嫌いだ。
こうゆうことを書くと、動員数に影響するのであろうが、事実なので、仕方ない。
だいたい、こんなもんが、すんなり人に受け入れられる世の中になってはいけないというつもりでやっている。
だけど、単純に客が多く入れば、それは素直に有難いわけだし、その辺は矛盾しているのだが・・・。
ただ、見せ物において、絶対的に必要なのは、「客」の存在である。
オレは、ただ、その時の、オレを取り巻く空間、状況、人間、そのすべてを利用しているだけである。
それだけのことなのだ。
(これは、特に新しくもなんともない。昔からライブってのはそうだ。)
にしても、毎回、人が足を運び辛い日程でやるのは、ちょっと考えなきゃいけないのかもしれないな。
「膣」の大晦日と元旦に300人以上の人が集まったのには笑ったが、今回の「ロミオとジュリエット」の人の少なさにも笑った。
普通、火曜は、休演日だからな。
あと、タウンホールのデカさは、やっぱり、一番の笑いどころである。
話が脱線したが・・・、
次回作をやるに当り、今、ものすごく悩んでいる。
どうしたらいいのか、現段階では、何も見えていない。
ただ、ここで諦めてはいけない。
乗り越えなければ。
客に「自己責任」を押し付けているオレが、自分の責任から逃げるわけにはいかない。
自分で納得のいかないものを創ってしまった以上、それをどーにかせねばいかん。
やりっぱなしで逃げるわけにはいかんのだ。
今回の「ロミオとジュリエット」だって、そもそもは、そうゆうことなのだ。
一人の役者の責任逃れを、オレは、受け入れなかった。
決して、そいつを責めているわけではない。
オレは、それを「利用」しただけだ。
オレは、オレなりの責任、というか、オトシマエをつけなければいけなかった。
それが例え、意地になっているだけでも、それでもいいのだ。
「やりきる」という事を公開することに、今回の意味があると思っていた。
オレは、自分ではない別の人間の演出を担ってしまった以上、それを貫く責任があった。
どんなことが起きようとも、約束の本番の日まで、最後まで役者をちゃんと料理して、客に食わせなければいけない、という責任があった。
それが、オレなりの愛だ。
それを、たかだか、2時間程度、表面を見ただけの客に、「あの人が可哀想、酷い、苅谷は最低」と単細胞な意見を投げつけられるのは、いささか腹が立つ。
お前らの無責任な正義感など、クソだね。
この偽善者め。
それに、キミらの半端な彼への同情は、逆に彼を哀れに見せるにしか過ぎない。
オレは、1年間という時間の中で、自分の選んだ役者を愛した。
それが「暴力」という形でしかなかったが、そこに愛はあった。
そして、自分も一緒に地獄に落ちただけだ。
それがオレの「ロミオとジュリエット」だ。
2/3
『ロミオとジュリエット問題を考える ―その1』
昨日は、一日中、起き上がれなかった。
少女単体、始まって以来、初め味わった、挫折。
「オレ、もうやめよう」。本気でそう思った。
死にたかった。
このホームページの閉鎖も考えた。
活動停止にし、一旦、姿を消して出直そうと思っていた。
だけど、いかん。
それはいかんのだ。絶対。
こうゆう時こそ、立ち向かわなければいけないのだ。
逃げるな、オレ。受け入れろ。引き連れろ。強くなるんだ。
というわけで、オレは、今後、少女単体の再起をかけ、次回公演に向けて立ち上がる様を、ここで公開することにする。
本来、創作者としては、裏側は伏せておくべきなのかもしれないが、そんなルール、オレは知らん。
今のみっともない自分を晒す事が、オレの責任だと感じている。
今日、通常、時が経ってからでしか恐くて目が当てられない、公演記録テープを見た。
今のオレにとっては、傷口に塩を塗るような行為だが、それでも、今見ないとダメだと思った。
で、見た。
まず、ちょっと表面的なことから、書かせてくれ。
「第2幕」の映像中、音声が消えているシーンがあった。
具体的には、シークレットライブ中の音声と、オレがカメラに向かって、携帯電話で話しているシーン。あと、「オークション」中の、携帯電話のシーン。
この音声、携帯のシーンについては、電波の問題では?と指摘されたが、元の素材にはちゃんとハッキリ音が入っており、当日の上映チェック段階でも、バッチリであった。
なのに、本番中、いきなり消えた。
シークレットライブのシーンの音声消えについては、まるで原因不明。
これ、ちょっと心霊的なものではないかと思っている。
「バチ」が当っているとしか思えない。「バチ」の仕業だ。
みんなには、映像が伝わりにくくなってしまい、申し訳ないことをしてしまいました。
この点については、素直に謝ります。ごめんなさい。
(オレの電話音声は、結構、重要な言葉だったのに・・・チクショーめ!)
さて、ここからが本題。
記録テープを、じっくりとではないが、流し見してみた。
わかった。
コレ、アレだ。
これ、リアルだ。
リアルすぎる。
まんま、「現実」ではないか。
オレは、もう、オレでしかなくなっている。
完全に抜け殻。
抜け殻のまま、客の前に帰ってきやがった。
最低だ。
ただ、人間の心理をリアルに捕らえたものということであれば、成功している。
でも、そんなものはオレの求めるものではない。
そして、絶対にNOなのは、オレが、「現実」に居たということだ。
いや、正確には、ある瞬間から、現実に引き戻されたのだ。
オレの心に「良心」という魔が差した瞬間である。
これは、今回に限っては、絶対にNOだった。
ただし、この「NO」は、映像にすれば「Yes」になることは確実である。
しかし、それは後々の問題。
「ライブ=NOW」としてはぜんぜんダメなのだ。
そこが、「少女単体」や「膣」との違いで、こちらはライブとして完璧である。
「ロミオとジュリエット」は、ライブではダメだったのだ。
では、なぜ決行したのか。
そもそもの始まりは、昨年5月、極秘に行われた、「シークレットライブ
―料理教室―」が奇跡的に成功したことが理由である。
こんな成功率の低いものを成功させたにも関わらず、これを、たった数人にしか見せられなかったことが、悔しかった。
それで、今回、そのパワーアップバージョンを広く公開しようとしてしまったのだ。
自惚れていた。
奇跡は2度起きないのだ。
(しかも、肝心のシークレットライブの映像音声は途切れるしね・・・。ほんと、「バチ」としか思えない。呪われておるよ。)
ただ、見直してみて、ひとつだけ好きなのは、
「1年以上の制作時間をかけて、見事にスッ転んだ」という点である。
自分の1年間を、テメーで台無しにしている。
完全に棒に振っている。
「実際には、これくらいの程度しかできんよ」と。
「おまえ、元々、常識人だろ」と。
オレは、一般常識に負けた。
オレのやったことは、犯罪レベルでは、「ピンポンダッシュ」並だ。
1年以上の時間をかけ、「ピンポンダッシュ」をやった。
最低だ。
オレは、サリンの袋に穴をあけることはできない。
所詮、ピンポンを押して逃げる程度の人間なのだ。
だから、その通りのオチにした。
そこだけは、凄くパンクだと思う。
それと、今回のことでよくわかったが、オイラは人を使うのがヘタすぎる。
自分自身で突っ込んでいくのはOKなんだが、人が絡むと、ダメだ。遠慮してしまう。
人の気持ちはわからない。
やっぱり、自爆が一番キモチイイ。
よくわかった。
そして、自分のことを信じるのも、やめることにしようと思う。
元々、苅谷文と自分の境界線など、ないのだ。
これも、よくわかった。
その他諸々のことを踏まえ、「少女単体」再起に向け、具体案を考えます。
今回のことはいい勉強になった。
ここで終われない。
何度も言うが、誰もオレを待たないで欲しい。
2/2
素直に失敗を認める。
敗因は、私の「罪悪感」です。
鬼になりきれなかった。
「苅谷文」が、人としての自分に負けた。
それがすべての理由。
計画していたこと、ほとんど何もやらなかった。
やろうと思えば、何でもできた。随分前から覚悟はできていたのだ。
でも、オレはやらなかった。やれなかった。
パンクス失格。
最低失格。
オレは最低にもなれない、パンクス気取りのただのお嬢ちゃんか。
自分の優しさという甘さに、とことん腹が立つ。
そんなもの、捨てたはずだったのに。
どうして、よりによって、本番中にぶり返すんだ!
昨日の「ロミオとジュリエット」には、「苅谷文」がいなかった。
「苅谷文」不在の「少女単体」になってしまった。
それじゃ、オレは一体、誰だったんだ?
過信しすぎていた。
「苅谷文」なら、操縦してくれる、と。
でも、結局、そこには「苅谷文」のニセモノのような女がいるだけだった。
割り切れなかった。
素の自分と、苅谷文の間で、心が右往左往する。
喪失感がオレを動けなくさせる。
本当は、やりたくなかった・・・
いつものように、それを表に出せばいいものを、オレはしなかった。
オレはバカか・・・
オイラ、もう、「少女単体」や、「膣」を越えられないのか・・・
1年ぶりに戻ってきたのに、このありさま。
この1年間、オレは何をしてきたんだ。
客の前で、「今日は失敗です」と宣言。
「少女単体」には在り得ない光景。
何が失敗なのか。
それは、決して、「内容」を差して言ったのではない。
オレは、いつも予定通りのことをしないし、別の方向に進んだり、戻ったりするから、それは別にオッケーなのだ。
そうゆうところには、そもそも、失敗も成功もない。
今回は、そうではなく、自分自身の問題なのだ。
オレの魂の問題。
オレの半端な優しさが、「失敗」だったのだ。
それがオレのパワーに歯止めをかけてしまった。
自分自身に、このライブを潰されたのだ。
オレは、カスだ。
「失敗です。」
そう言わずにはいられなかった。
それがオレのパンクだ。
プライドは、ない。
とにかく、オレの長い一年は終わった。
やっと開放された。
もう、考えなくてもいいんだ。
今回ばかりは、誰もオレを擁護しないで欲しい。
ケチョンケチョンに貶してくれ。
オレは甘ったれだよ。そして、とんでもない卑怯者だ。
でも、それも連れて行くしかない。
認めるしかないんだ。
出直そう。
次だ、次!
もっと低レベルを目指さなければ。
核に向かわねばいけない、という心が固まった。
待っていてくれなくていい。
ゼロから始めるつもりだから。